聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 エゼキエル書 16章 「わたしが、あなたの行ったすべてのことについて、あなたを赦すとき、あなたがこれを思い出し、・・・。」 (エゼキエル書 16:63) エゼキエルは、“いかがわしい生まれの女が、夫の愛を受けて女王にまでなったが、高ぶって、夫を裏切り、姦淫を行い、その報いで落ちぶれ、それなのに夫に赦され、回復される”というたとえをもって、エルサレムの歩みを暴き、さばきを示しました。エルサレムはもともとエブス人の町でしたが、イスラエルの首都とされ、主の宮がそこに建てられました。そして、ダビデ、ソロモンの下で栄え、諸国の中で女王とたたえられました。すべて主の愛のなせる業でした。ところが、エルサレムは自分の美しさのゆえだとおごり高ぶり、その美しさや富を用いて諸国を自分のもとに取り込もうとしました。そのため彼らの偶像礼拝を利用し自分たちも偶像を拝むようになりました。主はそれをイスラエルの背信と見られ、彼らを、彼らが慕ったエジプト、アッシリヤ、ペリシテ、そしてバビロンによって打たれました。アッシリヤにイスラエルが滅ぼされ、ユダはバビロンの支配を受けるようになりました。エゼキエルは、背信の北イスラエルの首都サマリヤを姉、今も語り伝えられている悪徳の町ソドムを妹にたとえ、エルサレムの背信はサマリヤの背信よりも妹のソドムの悪徳よりもひどかったからもっと厳しいさばきが臨む、とさばきを宣告しました。しかし、それは、彼らが自分の罪を認め主を知るようになるためだ、と主は言われました。厳しいさばきの宣告の背後に、惨めな幼いときから彼女を慈しみ育てられた主の彼女を惜しみ愛しておられる深い愛が伺えます。 唄野隆 |