聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 エゼキエル書 1章 「第三十年の第四の月の五日、私がケバル川のほとりで捕囚の民とともにいたとき、天が開け、私は神々しい幻を見た。」 (エゼキエル書 1:1) 主の御用に用いられる者は、しばしば、不思議な神秘体験を通して、主の召しを確信し、それに従うように導かれます。イザヤもそうでしたし、エレミヤもそうでした。エゼキエルも、神からの幻を見、その御声を聞いて、主の預言者に召されました。彼が主の幻を見て主の召しを確信したのは、彼が30歳になったときでしょうか、エホヤキン王が捕囚となって5年目、バビロンのケバル川のほとりでのことでした。エルサレム陥落のとき、エルサレムに残った者たちは、自分たちは正しかったから捕囚の憂き目を見ずにすんだと考え、捕囚の民をさげすみました。しかし、エゼキエルは、主によって、捕囚の民に、エルサレムの滅亡と捕囚の民のバビロンからの帰還を告げ、彼らを励ましました。その困難なつとめを全うさせる力の土台が、このとき彼が見た幻であり、主から聞いたみことばでした。その幻は、まず北からの雷雨の中に現れた四つの生き物の姿を示しました。四つの生き物はそれぞれ四つの顔を持ち、それぞれ独立していながら、天からの火によって結ばれ、一つの動きをしました。前後左右どこにでもまっすぐに自由に進むことができ、目がいっぱいあって何ごとも見逃すことはありませんでした。そして、その上には、神ご自身の姿がうかがえました。主を仰いで一つとなり、主のみことばを聞き、主の権威をもって、どこへでも自由に出て行って、主のみことばを伝え、人々を生かし励まし、主を指し示すのが主の御用にあたる者のつとめなのです。 唄野隆 |