聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかる。」(ダニエル9:27)


今日のダニエル書9章では、ダニエルがエレミヤの預言を読み、導かれた祈りと、その祈りに答えて、神様が天使ガブリエルを通して、ダニエルに語られたお言葉が記録されています。

2節の70年は、エルサレムの荒廃が、紀元前605年の第一次バビロン捕囚から始まるとすれば、紀元前535年ということになります。1節からこのダニエル書9章の出来事が、紀元前539年か538年のことであることがわかりますので、もう数年後には、エルサレムの回復が始まることが約束されている、ということをダニエルはここで知ったわけです。
3節から19節は、そのことを知った時に、ダニエルが捧げた祈りです。彼はどんなに大きな恵みが与えられようとしているかを知り、深い祈りへと導かれたわけです。私たちも、神様の恵みをもっと深く知らせていただき、もっと深く祈りに導かれる者とならせていただきましょう。
24節以降の預言の中で、25節は特にわかりにくいものです。25節の後半をヘブル語の原文通りに訳せば、新共同訳のように、「油そそがれた者、君主の来るまで、7週あり、また62週あり、苦しみの中で広場とほりが建て直される」というようなことになります。1日を1年、1週を7年としますと、7週プラス62週、計69週、483年ということになります。エズラがエルサレム神殿の再建を命じられた、紀元前457年からしますと、483年後は紀元後27年となり、イエス・キリストの公生涯の始まりと重なることになりそうです。
26節は、イエス・キリストの十字架の死と、その後のローマ軍によるエルサレムの破壊の預言、27節はそのローマの皇帝と重なり合わせる形での終わりの時にやって来る、反キリストについての預言と考えられます。反キリストは権力を握り、神の民をあざむき、礼拝を禁じるようなことをするようですが、最後の最後には滅ぼされるのです。
神様は先の先のことまで歴史の全てを支配されており、最後の最後にはキリストとその民に勝利をもたらされるのです。自分の思いを越えた神様の大いなる御計画の中に入れていただいていることを覚え、目の前の出来事に振り回されることなく、ただキリストに従い抜き、その最後の勝利に与かる者とならせていただこうではありませんか。

中谷建晴



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