聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「あなたはこれらの事をすべて知っていながら、心を低くしませんでした。」 (ダニエル5:22)

今日のダニエル書5章では、バビロンの国が思いもかけない形で滅び去った直前の出来事が語られています。
30節から31節には、バビロンがメディヤの軍隊によって攻め落とされたことが記されていますが、どうやらこの出来事の起こった当時、バビロンの町は敵国であるメディヤの軍隊に取り囲まれていたようです。1節を見ますと、そういう状況の中にいながら当時の王ベルシャツァルが大宴会を催したことがわかります。おそらくベルシャツァルも、その宴会に招かれた人々もバビロンの町の守りは完璧で、決して攻め落とされるようなことはない、とたかをくくっていたのではないか、と考えられます。
3節では、ベルシャツァルたちが宴会の中で余興として、エルサレム神殿から持ち去った器を用いてお酒をくみかわしたことが記されています。4節から、彼らがイスラエルの神、主、を自分の民や神殿を守ることのできない無力な神であったとあざけり、バビロンの偶像の神々を賛美しながら、お酒を飲んでいたことを伺い知ることができます。
このベルシャツァルの態度に神様が裁きを宣告された時の様子が、5節から28節では述べられています。特に、21節から23節では、先の王であるネブカデネザルがその高ぶりのゆえに長い間、正気を失う状態を経験させられたことを知っていたにもかかわらず、ベルシャツァルが生ける真の神であるイスラエルの神、主、を恐れようとしなかったことが決定的な罪として指摘されています。
ベルシャツァルはメディヤの軍隊に包囲されていながらも危機感を持とうとせず、また、イスラエルの神、主、こそが恐れるべきお方であることを聞いていながらも、その神様を恐れようとせず、そのために身を滅ぼしてしまったわけです。
私たちも自分が死ぬべき存在であることを知りながら、またキリストにのみ救いがあること、キリスト抜きには神の裁きを免れることができないことを知らされていながら、それを無視し、高ぶった態度を取り続けているようなことはないでしょうか。だとするならば、今、悔い改めて、キリストにある救いに与からせていただきましょう。

 中谷建晴



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