聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「わたしはもう二度と彼らを見過ごさない。」 (アモス7:8) 今日のアモス書7章から、最後の9章までは、主としてアモスが神様から見せていただいた幻と、その幻について、神様が語られたお言葉です。 1節の「王が刈り取った後」とは、本格的な収穫が始まる前に、まず王が収穫をするという当時の決まりを反映した言い方で、本格的な収穫が始まる前の時期、ということを意味しているようです。 2節や5節のアモスの言葉は、収穫の直前に、収穫されるはずの作物がいなごに食べ尽くされたり、火で燃え尽くされたりしてしまうと、一年間は食べるものがなくなってしまうという大変な事態になる、ということを訴えているようです。 2節や5節でアモスは「イスラエルは小さい国なのだから」と言っていますが、当時、イスラエルはソロモン王の時代以来の繁栄と領土の広さを誇っていました。ですから、このアモスの言葉は、そういうものは神様の前には、ちっぽけなものでしかない、ということを示唆しています。私たちが、これだけのものを身につけている、これだけたくさん持っている、と誇りに思っているようなものも、神様の全能の力の前では小さなものに過ぎないのです。 7節から8節に出て来る、「重りなわ」とは、建物が垂直に立っているか、どうかを調べるもので、そこでは、イスラエルが神様の御心に反しているということが調べられ、結論が出されるということが象徴的に語られているようです。その結果、8節から9節で言われているように、イスラエルはもう見過ごしてもらうことができず、神様の裁きを宣告されるわけです。 神様の忍耐を軽んじ、いつまでも悔い改めようとしないならば、気が付いた時には、神様からの裁きがもう逃れようのないものとなってしまっていかねないのです。神様を恐れ、今この時、悔い改めさせていただきましょう。 中谷建晴 |