聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「町にわざわいが起これば、それは主が下されるのではないだろうか。」
(アモス3:6)

今日のアモス書3章でも、イスラエルの上に神様からの裁きが下されようとしていることが預言されています。
1節から2節の前半にかけてで言われているように、神様が、何の取り柄があったわけでもないのに、選び、恵みを注いで下さったからこそ、イスラエルの民は存在することができるようになったものですし、存在し続けることができたことも、ただ神様の恵みのおかげでした。さらに、この当時イスラエルの民はソロモン王時代以来の繁栄を謳歌していたわけですが、それも神様が忍耐し、なお祝福して下さったがゆえのものであったわけです。
そんなにも一方的に恵みを与えられていながらも、イスラエルの人々は10節で言われているように神様の御心に反することを行い、14節で示唆されているように偶像礼拝に走り、15節で示唆されているように、富を一部の者たちが独り占めし、贅沢三昧をするのをそのままにしていたようです。だから神様の裁きが下るのは当然である、ということがここでは言われているわけです。
私たちも日々、神様の恵みによって養っていただき、数多くの危険から守っていただき、その上、永遠の命に与かる者として選んでいただいているにもかかわらず、御心に背くような歩みをしてはいないでしょうか。
12節の表現は羊飼いが、自分が番をしている時に、羊が獣に食い殺されてしまった場合、自分が盗んだわけではないことを証明するために、食い殺された羊の一部を取っておかなければいけないという出エジプト記22章13節のきまりに基づく譬えで、イスラエルの国が徹底的に裁かれ、ばらばらにされてしまうことを表現しているようです。神様の裁きは徹底したものです。主を恐れ、悔い改めて主に従う者とならせていただきましょう。

中谷建晴



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