聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 アモス書 8章 「その日、わたしは、この地にききんを送る。パンのききんではない。水に渇くのでもない。実に、主のことばを聞くことのききんである。」 (アモス書 8:11) アモスは四つ目の幻、夏の果物の幻を見せられました。夏の果物というヘブル語は終わりと言うことばと似ていますし、また夏の果物は腐り易く、“サマリヤはもう終わりだ、主は彼らの罪を見逃されない、厳しいさばきが来る”という厳しいさばきを示すのに適していたのでしょう。さばきの理由は、貧しい者や悩んでいる者たちを踏みつける無慈悲、安息日を守るよりも商売での稼ぎを重視する不敬虔、欺きのはかりを利用する不正、弱者を銀で買い貧しい者を一足の靴で買い取る人格無視でした。経済重視で人権や倫理を軽視する今の時代に対する問責ではないかと思わせるアモスの預言です。このイスラエルの罪にたいして、ナイル川のような大洪水が押し寄せ真昼に太陽が光を失う天変地異が襲いかかり、すべての人々が嘆き悲しむ滅びが来る、というさばきが宣告されました。“大きなききん、食料が欠乏し水がなくなるききんではなく、主のことばが消え、だれも主のみことばを聞けなくなるききん”です。主が光あれ、と言われると光があった(創世記1:3)、と言われているように、主のことばはすべてのものに存在を与える基盤です。主のことばがないとすべてのものは存在できなくなります。主と親しく交わり、主のみことばを聞くとき私たちは生きる力を感じるが、主のみことばを聞けなくなると生きている気がしなくなる、という霊的経験がそのことを示してくれます。「主よ。罪を告白し、悔い改めます。みことばをください。」と祈りました。 唄野隆 |