聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「あらゆることで、私たちの救い主である神の教えを飾るようになるため」(テトス2:10)

 今日のテトスへの手紙2章では、教会の中の様々な立場の人たち、それぞれの在り方について、どう教えるべきか、ということが語られています。
 2節は男性の老人たちに向けての言葉ですが、その冒頭には自制するように、ということが言われています。年を取って来ると、つい話が長くなってしまったり、身近な人たちに対する遠慮がなくなってしまいがちなものですが、そういうことにならないように気をつけるようにということが言われているようです。そのように、ついついそうしてしまいそうなことをしない、自覚的な生き方が勧められているわけです。
 同じように、3節では、ともすれば愚痴っぽくなって、結果として、口を開けば誰かの悪口・陰口になってしまいがちな年をとった婦人たちに対する具体的な指示としてまず、悪口を言わないようにということが言われています。また、6節では、ともすれば、感情や勢いだけで行動してしまいがちな若い人々には、思慮深くあるようにと言われています。また、9節や10節の前半の奴隷に対する指示も、当時の奴隷たちが持っていた常識に反するものであったようです。
 そんな自然の性質、肉の性質に反する生き方をすることはある意味で大変なことです。しかし、だからこそ、10節の後半以降で言われているように、そこに神様の御栄光が現わされるのです。そして、何よりも、主の御栄光のために、そういう生き方をしたいと祈り求めるならば、神様ご自身が助けて下さり、そうさせて下さるからこそパウロはこういうことを言っているわけですが、私たちはどうでしょうか。神様を必要としない、だから、祈らなくてもよい、肉のままの生き方、神様の御栄光を現わすという所とは程遠い生き方に止まっているということはないでしょうか。

 中谷建晴



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