聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「それは健全な教えをもって励ましたり、反対する人たちを正したりすることができるためです。」 (テトス1:9)

今日からテトスへの手紙です。この手紙はギリシャから見れば南東、トルコ半島から見れば南西、にある地中海の島、クレテ島に残したテトスという弟子に使徒パウロが書き送った手紙です。パウロは2度ローマで牢屋に入れられていたようですが、この手紙はパウロが最初の牢屋での生活から釈放され再び自由に活動していた頃、様々な事情を考え合わせると、おそらくは紀元63年の秋に書かれたもののようです。
クレテ島にどういういきさつで福音が伝えられ、教会が生まれたかということは記録に残っていませんが、何かと問題のあるクレテ島にキリストの教会が立てあげられていくようにパウロはテトスを残してそのつとめに当たらせたわけです。
6節や7節などからクレテ島での人々の生活がかなり乱れたものであったことが想像できます。ここでパウロがわざわざテトスに書き送っていることから、そういうクレテ島に生まれ育った人の中には、信仰は信仰、生活は生活と言って、一向にその乱れた生活を改めようとしなかった人たちがいたようです。そうではなくて、信仰は具体的な生活の中で現されて行くべきである、ということが6節から9節で挙げられている長老や監督となる者の基準の中に現されています。
また、10節以降を見ますと、ユダヤ人もしくはユダヤ人にならって割礼を受けた者たちが、きよい食べ物ときよくない食べ物を区別するという儀式的なことや、当時ユダヤ人の間で広まっていた荒唐無稽な伝説というものを持ち込んでいたことも大きな問題の一つだったことがわかります。これも信仰を毎日の普通の生活とは別の何か特別な形で表現されるものという誤った考えから来ていたものです。私たちはどうでしょうか。毎日の生活の中の普通の務めをイエス様から与えられたとものとして忠実に果たし、具体的なことにおいてもイエス様に頼り、また感謝するそういう歩みをしているでしょうか。それとも、何か特別な経験、非日常的な劇的な経験を求めて、虚しくさ迷っている、日々の生活の中で主にお従いすることを疎かにしているというようなことはないでしょうか。

中谷建晴



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