聖書一日一章メッセージ集![]()
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| 堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「あなたがたこそ私たちの誉れであり、また喜びなのです。」 (1テサロニケ2:20) 今日のテサロニケ人への手紙第一2章では、パウロが、自分とテサロニケの教会の人々との出会いを振り返ることを通して、お互いの間の絆を確認しようとしています。 2節で言われているように、また、使徒の働き16章11節から40節に記されているように、パウロたちはイエス様のことを宣べ伝えたために、ピリピの町で逮捕され、鞭打たれ、牢屋に入れられるという目に会いました。ですから、人間的に考えれば、次に行ったテサロニケの町では、少しゆっくりしたい、だから、ここでは宣教の働きはお休みにしておこうかと考える可能性も十分あったわけです。しかし、パウロたちはそれでもテサロニケで福音を宣べ伝え、その結果、テサロニケでも、イエス様を信じ、救われる人が起こされ、教会が生まれたわけです。 テサロニケの人たちからすれば、パウロという人がやって来て、語っているのを聞いて、イエス様のことを知り、信じて救われたということになるわけですが、その背後にはパウロたちの信仰の戦いがあり、苦しみ、痛みがあり、それでも敢えてという信仰の決断があったのです。同じことは、私たちの救い、信仰についても当てはまることです。私たちは、自分はあの時、あの人を通して、あの場を通して、あの働きを通して、イエス様にお出会いしたということしか見えていないものですが、しかし、その背後には、その人や、その場やその働きに関わっている方々の戦いがあり、悩み、苦しみ、痛み、迷い、それでもという信仰の決断があるものなのです。そのような人々の愛と信仰のゆえに、何より神様の恵みのゆえに救われた自分であることを覚え、今度は自分自身、宣教の業に、それでもという信仰の決断をもって、貢献して行く者とならせていただこうではありませんか。 中谷建晴 |