聖書一日一章メッセージ集![]()
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| 堺大浜キリスト教会 聖書一日一章 「ああ、神の知恵と知識の富は、何と底知れず深いことでしょう。」 (ローマ11:33) 今日のローマ人への手紙11章は、9章から続いて来た、イスラエルがなぜ救われないままでいるのか、ということについての説明の締めくくりです。 1節から5節では、イスラエルの中にも、イエス様を信じて、救われた者たちが少数ではあるけれども存在する、それは、神様がイスラエルを退けられたわけではないことの印である、ということが語られています。5節から6節では、その者たちが救われたのは一方的な神様の恵みのゆえであって、その者たちの働きに対する報いであるとか、その人たちの品性のゆえに与えられたものであるとか、そういうものではない、ということが改めて述べられています。 25節から26節、30節から31節では、イスラエルは最終的には、皆、救われるということ、今、現在、イスラエルがイエス・キリストにある神様の恵みを拒んでしまっていることもまた、神様のご計画であることが語られています。使徒の働き13章46節などを見ると、パウロなどの働きがイスラエル人以外の者、異邦人、を対象とするようになったのは、イスラエル人がイエス・キリストを拒んだからであったことがわかりますが、それもまた神様のご計画であったというのです。しかも、最後には、異邦人の救いを見ているだけであったイスラエルの人々が、自分たちこそこの救いに与かるべき者だということに気が付いて、皆、救われるようになる、そういうご計画を神様は持っておられるというのです。遠回りをしてではあるけれども、イスラエルが皆、救われるのが、神様の最初からの計画であり、その遠回りは、異邦人が救われるためのものである、というのです。異邦人をも救いに入れるために、神様は敢えて遠回りをして下さったのだというのです。そうして、本来は救われるはずがなかったのに救われたのですから、18節などで言われているように、異邦人はイスラエル人に対してたかぶることなどできないはずだ、というのです。 私たちも神様のご計画が目に見える所をはるかに越えたものであることを覚え、たかぶることなく、また、絶望することなく、ただただへりくだって主に従う者とならせていただきましょう。 中谷建晴 |