聖書一日一章メッセージ集![]()
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| 堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、」(ピリピ3:13) 今日のピリピ人への手紙3章は律法主義者たち、反律法主義者たち両方に気をつけるようにとの警告であるようです。 1節から9節は律法主義者たちに気をつけるようにとの警告のようです。しかし、私たちはここでパウロが心配しているような間違いに陥っているようなことはないでしょうか。3節に照らし合わせて言うならば、聖霊によってではなく、魂を込めることなく、習慣的なもの、義務的なものとして礼拝を守っているようなことはないでしょうか。また、自分はこれだけのことをして来た、自分はこれだけの犠牲を払っている。だから自分は立派な信仰者だというように、ただイエス様の十字架によって救われたことを、また、それに対する心からの感謝を忘れてしまっているようなことはないでしょうか。 10節から16節は、律法主義者に反論するために行き過ぎたことを主張していた者たちに対する警告のようです。彼らは、救いを得るためには、割礼を受けなければいけない、律法を守らなければいけない、という律法主義者たちに反論するために、信じただけで救われているのだ、と言うだけに止まらず、信じているのだから、自分たちはもう完全なのだというようなことを言っていたようです。そういう者たちに対して、パウロは確かに信じただけで救われるのだが、だからといって、それはもうすでに完全な者になったということではない、さらに清さを、キリストの力を経験することを求めて行かなければならない、こう自分自身を例に挙げて語っているようです。 さらに17節以降は反律法主義者たちに気をつけるようにとの警告のようです。19節で言われているように、信じるだけで救われるということを口実に、自分の欲望を肯定するような者たちがいたようです。そういう、実の所、キリストご自身の命に結び付いていない者たちには滅びが待っているだけなのです。私たちは、そうではなくて、自分のために生きる人生、自分を生かそうとする人生、結局の所、空しい人生ではなく、キリストご自身にしっかり結び合わされ、キリストのいのちに生き、キリストのために生きる、永遠のいのちへとつながって行く人生を歩む者とならせていただきましょう。 中谷建晴 |