聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。」
(ピリピ1:21)

  今日からピリピ人への手紙です。使徒の働きの最後の方では、裁判を受けるためにパウロがローマで捕らわれの身となったことが記されていますが、このピリピ人への手紙は、そのローマの獄中から書かれたものではないか、と言われています。ただ、ピリピ人への手紙1章12節から14節では、パウロの身の上に最近大きな変化が起こったことが記されています。使徒の働き28章30節から31節では、獄中生活と言っても、ローマでの最初の2年間、パウロは自分の借りた家に住んで、誰の訪問を受けてもよいような状態、いわゆる軟禁状態だったことがわかりますが、おそらくは、そういう軟禁状態から、その後、本格的な監禁状態に移された、そのことが言われているのだろうと思われます。ですから、このピリピ人への手紙が書かれたのは、やはり獄中で書かれたエペソ人への手紙が書かれた時よりも、少し後で、裁判が近づき、普通であれば不安が高まって来るはずの時期のことになると考えられます。しかし、今日の1章12節以降を見ますと、パウロが全く不安を感じていなかったことがわかります。彼は自分が監禁状態に置かれたことで、13節にあるように、さらに多くの人に福音を伝えることができたこと、また、18節にあるように、それをきっかけに人々がさらに勇んで福音を伝えるようになったことをただ喜んでいます。勇んで福音を伝える人たちの中には、17節にあるようにパウロが監禁されたことをきっかけに教会の中での指導的な立場を自分のものにしようというような不純な動機の人たちもいたわけですが、パウロはそれさえ喜んでいるのです。このパウロの姿は、キリストのため、福音のために生きようとする時、どんなに大きな自由があるかということを指し示してくれているのではないでしょうか。逆に、私たちが人の振る舞いが気になり、あのことこのことに、また死ぬことに対して恐れを感じているとしたら、それは実の所は、自分のために生きているからなのではないでしょうか。あるいは、キリストを信じると言いながらも、自分のためになるから信じるという所に止まっているからなのではないでしょうか。そうして、イエス様のおっしゃる所の、自分のいのちを救おうとして、それを失う者になっていないか、もう一度自らの在り方を顧みさせていただきましょう。

中谷建晴



Copyright© Sakai Ohama Christ Church All rights reserved.