聖書一日一章メッセージ集



堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「『この人の血について、私には責任がない。』」(マタイ27:24)

今日のマタイの福音書27章では、イエス様がとうとう十字架につけられ、苦しみられ、辱めしめられた揚げ句に亡くなられたことが記されています。
マタイの福音書2章で記されていたように、イエス様がお生まれになった当時は、ローマ帝国の傀儡であるヘロデ大王がユダヤを治め、ヘロデ大王の死後は、その息子の一人であるアケラオという人物がやはり王としてユダヤを治めることが許されていました。しかし、アケラオの下で何度も大きなトラブルが起こったことから、その後はローマ帝国が直接ユダヤを支配するようになっていました。そのため、死刑を執行するためには、ローマ総督の許可が必要であったので、祭司長や長老たちはその許可を求めてローマ帝国から派遣されていた総督ピラトのもとにやって来たわけです。
18節や24節に記されているように、ピラトはイエス様を処刑すべきではないとわかっていましたが、それを止めることはしませんでした。24節に記されているように、彼は、自分には責任がないとしたわけですが、それ以後2000年にわたって、使徒信条の中でピラトの名前はイエス様を苦しめた張本人として唱えられ続けることになっています。このことは、わかっていながら自分の責任を果たそうとしないことは、積極的に悪を行うことと同じように、いや場合によってはそれ以上に重い罪である、ということを私たちに教えてくれているように思われます。
3節から10節の祭司長たちの行動はあきらかに偽善的です。彼らは無実のイエス様を殺すというようなことをしながら、6節のようなことを言っているわけです。私たちも表面的なこと、形の上のことばかりに気を取られて、自分の犯して来た罪を忘れてしまっているようなことはないでしょうか。

 中谷建晴



Copyright© Sakai Ohama Christ Church All rights reserved.