聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。」 (マタイ25:21)

今日のマタイの福音書25章でも、世の終わりの時の裁きがどのようなものであるか、ということをイエス様がお話しになっておられます。
1節から13節の例え話は当時のユダヤの結婚式の習慣を前提にしたものです。当時のユダヤの結婚式では、まず花婿が花嫁の家に行き、そこで幾つかのセレモニーを終えます。その後、日が暮れてからもう一度自分の家に帰って来て、そこで盛大な宴会を催すことになっていました。そして、宴会に出席する者は、花婿が花嫁の家から帰る道の途中で、ともしびを持って、その行列に加わることになっていました。ともしびを持っていない者は、招待をされていないのに御馳走に与かろうとする者として宴会に参加することを許されませんでした。
この例え話の中で、愚かな娘たちは、当然、用意しておくべき油を用意しておらず、いよいよとなってそのことに気づいた時には手遅れであったわけです。私たちもいよいよという時、手遅れになって後悔しないように、今、この時、イエス様をはっきり心に受け入れ、罪の赦しと永遠の命の約束を確かに自分のものとさせていただきましょう。
14節から30節の例え話では、世の終わりの時には、神様に対する忠実さが問われるということが語られているようです。神様は私たちがこの地上で託された責任を忠実に果たすことを期待し、それを喜んで下さるのです。
31節から46節のお話しでは、天国に入る人たちも、地獄に行く人たちも、その理由に驚いています。何げなくしたことが、天国か地獄かの決め手になる、つまり、みせかけが通用しないということのようです。自分自身の信仰はどうか、もう一度、自らを顧みさせていただきましょう。

中谷建晴



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