聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「あなたがたも、外側は人に正しいと見えても、内側は偽善と不法でいっぱいです。」 (マタイ23:28) 今日のマタイの福音書23章では、イエス様がパリサイ人たちの偽善を厳しく責めておられます。 パリサイ人たちは律法を、ユダヤ教の伝統的な解釈に基づいて、厳格に守っていた、ユダヤ人社会の中では非常に尊敬されていた人たちでした。その彼らをイエス様は偽善的であるとして厳しく責めておられます。 3節から5節ではパリサイ人たちは立派なことを言うけれども、それを実行していない、ということを指摘されています。しかし、私たちも、他の人の振る舞いについて、クリスチャンとして相応しくないとか何とか言いながら、自分自身はどうかを問題にしていないということはないでしょうか。 23節から28節では、パリサイ人たちが細々とした目に見えることを問題にするけれども、一番肝心なこと、心の内側を問題にしていない、ということが指摘されています。27節に「白く塗った墓」という表現が出て来ますが、イエス様がこのお話をされた過ぎ越しの祭りを前にしたこの時期、エルサレムに上って来る人が途中でお墓に触れてしまい、身を汚し、過ぎ越しの祭りに参加できなくならないように、お墓を白く塗って、目につくようにするということが当時行われていたようです。 いずれにせよ、もし私たちが自分が人前で何をしているか、ということで自分をよしとし、自分の内側がどうであるのか、自分の物事を行う動機が結局は自己中心的なものであったり、自分の中にどれだけいやらしい思いがあったりするか、ということを認めようとしないのであれば、やはり同じことをしていることになるのではないでしょうか。そうではなく、自分の罪、汚れを認めて、イエス様を心に受け入れ、イエス様にある赦しに与かり、御霊によって清められて行く者とならせていただきましょう。 中谷建晴 |