聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「そんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからです。」
(マタイ22:29)

今日のマタイの福音書22章では、昨日の21章15節から始まった、イエス様とエルサレムの宗教的な指導者たちとの対決が記録されています。
1節から14節のイエス様の例え話は、彼らが実の所は神様に従っていない、悔い改めて神様が一方的に与えて下さろうとしている恵みに、身を低くして与かろうとしていないということを指摘するもののようです。
またその一方で、神様の恵みを軽く考え、安易な態度でいてはいけない、ということも語っています。11節から13節の礼服を来ていない客、招かれたことを軽く考え、心を込めて、王の招待に応答しようとしていない客は結局、放り出されてしまいます。私たちはどうでしょうか。イエス様の招きを軽く考え、罪にまみれた自分自身に開き直っているようなことないでしょうか。
15節から19節の質問の背景には、カイザル、すなわちローマ政府に税金を収めることは、神様以外の者を神とすることにつながるのではないか、と思いながら、税金の支払いを拒むとローマ政府に対する反逆と見做され、軍隊を送られ、弾圧されてしまう、というジレンマを、当時、多くのユダヤ人が抱いていたという事情があったようです。
36節の質問の背景には、当時の宗教的な指導者たちが律法の中で特に重要な戒めはどれかという議論をしばしば行っていたという事情があるようです。
いずれにせよ、そういった議論を挑んだ者たちは、イエス様の偉大さを認めながらも、その殆どがイエス様を信じて、救いに与かることはできなかったようです。議論を挑むような態度をイエス様に対してとっている限り、救いはないのです。そうではなく、へりくだって、イエス様の招きに応え、悔い改めて、救いに与かる者とならせていただきましょう。

 中谷建晴



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