聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「しかもあなたがたは、それを見ながら、あとになって悔いることもせず、彼を信じなかったのです。」 (マタイ21:32) 今日のマタイの福音書21章では、イエス様が旧約聖書で預言されていた救い主、キリスト、としてエルサレムに入られたことと、それに続いて起こった出来事が記録されています。 1節から11節では、イエス様が旧約聖書で預言されていた通り、ろばの子に乗ってエルサレムに入られたこと、それを大勢の人々が大喜びして迎えたことが記録されています。9節の「ダビデの子」という呼び方は群衆がイエス様を自分たちを解放してくれる王様と見ていたことを示唆しています。 12節から13節では、イエス様がエルサレム神殿の中で商売をしている人たちを追い出したことが記されています。彼らは、遠くからエルサレム神殿に巡礼に来るユダヤ人たちに、いけにえとしてささげる動物を高い値段で売ったり、ローマのお金を神殿への献金とするためのユダヤのお金に高い手数料を取って両替したりして、大儲けをしていたようです。 18節から22節のエピソードは、祭司長や律法学者たちが、それらしくは見えても、いつまでも信仰の実を結ばない者であることを指摘し、彼らの上に下る裁きを示唆したもののようです。 23節の祭司長や民の長老たちとは、当時のユダヤ人社会のエリートである最高議会のメンバーを指すと考えられます。28節から32節、33節から42節のイエス様の例え話は、彼らが実の所、神様に従っていないこと、それがゆえに神様に裁かれることを語ったもののようです。 私たちも信仰について語り、信仰者らしく振る舞っているものの、実際に神様に従おうとはしていないのに、或いはいつまでも御霊の実である寛容さや柔和さがないままでいるのに、勝手に自分を善しとしていることはないでしょうか。 中谷建晴 |