聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「『また、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、あるいは畑を捨てた者はすべて、その幾倍もを受け、また永遠のいのちを受け継ぎます。』」 (マタイ19:29) 今日のマタイの福音書19章には、イエス様がガリラヤ地方からいよいよエルサレムに向かわれる途中、「ヨルダンの向こうにあるユダヤ地方」とも呼ばれる、ヨルダン川の東側のいわゆるペレア地方を通られた時に経験されたいくつかの出来事が記録されています。 3節のパリサイ人の質問は、イエス様を陥れようとするものでした。その地方で王様のような立場にあったヘロデ・アンティパスが、自分の思いのままに妻を離縁し、ヘロデヤと再婚したこと、バプテスマのヨハネがそれを律法に反するものだとしてヘロデ・アンティパスを咎めたこと、そのバプテスマのヨハネが牢屋に入れられ、最後には首をはねられたことは、14章の3節から12節で書かれていた通りです。パリサイ人たちはイエス様がバプテスマのヨハネと同じ様な目に会うことを恐れ、律法に反することを言うか、あるいはヨハネと同じようなことを言って捕まえられるようになることを期待してこの質問をしたようです。 これに対するイエス様のお答えは男性からの一方的な離婚をある程度は認める当時のユダヤ人社会の常識に挑戦するものでした。パリサイ人たちはイエス様を罠にはめるどころか、自分たちの聖書の読み方や生き方そのものを問われることになってしまったわけです。 16節から30節では、全てを捨てて、単純にイエス様を信じ、イエス様に従うことこそが救いに与かるためには必要である、ということが語られています。パリサイ人たちのようにイエス様について、あるいは教会について、あるいはクリスチャンについて云々するような姿勢でいる限り、そこには救いはありません。そうではなくて、イエス様を素直に信じ、ただイエス様に従い、約束されている豊かな祝福に与かる者とならせていただきましょう。 中谷建晴 |