聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「『起きなさい。こわがることはない。』」 (マタイ17:7)

今日のマタイの福音書17章では、16章13節から続いて、イエス様の一行がガリラヤよりもまだ北の地方に引きこもっている間に起こった出来事と、その後、南に下ってガリラヤ湖の北側のカペナウムまで来た時に起こった出来事が記されています。
1節から8節までは有名な変貌山の出来事です。ここで、イエス様が偉大な預言者であるモーセやエリヤ以上の人物、神様の愛する子どもである、ということが明らかにされます。6節で弟子たちがおそれを感じてひれふさざるを得なかったように、イエス様は本来、恐るべきお方なのです。世界を造られ、今も思いのままに支配し、やがて裁かれるそういう神様と一体のお方なのです。けれども、7節で描かれているように、そのイエス様がご自分の方から私たちの方に近づいて下さって、「恐れなくてもよい」とおっしゃって下さったがゆえに、私たちは恐れなくてもよくなっただけなのです。にもかかわらず、初めから恐れる必要など全くない方として、イエス様にわがままな要求をし、それが答えられないからといって、イエス様に怒るというような、イエス様を侮った傲慢な態度を取ってしまっているようなことはないでしょうか。
9節から13節では、イエス様がキリスト、救い主、であることを確信した弟子たちが、キリストの来る前に、エリヤの再来である偉大な預言者が来るはずであるのに、まだ来ていないのではないかとイエス様に問い正しています。イエス様は殺されてしまったバプテスマのヨハネこそ、その預言者であったと語ります。要は弟子たちが気が付かなかっただけであったのです。同じように私たちも知識として知っていたことが既に起こっているのにそのことに気づかないままになってしまっていることがあるのではないでしょうか。何よりもイエス様を信じたその時に全ての罪が赦され、新しい命に生きる者と既にされている、そのことをしっかりと心に留めさせていただきましょう。

 中谷建晴



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