聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」 (マタイ6:33) 今日のマタイの福音書6章は、昨日の5章から始まるイエス様の山上の垂訓の続きです。 1節から18節は、宗教的な偽善に対する警告です。献金も、お祈りも、断食も、本来、神様に対してするものですが、当時のユダヤ人の中には、人から信仰深いと思われることが目的になっている人たちがいたようです。イエス様はそういう人たちと同じようなことをしていてはいけない、とイエス様を信じる者たちを厳しく戒められたわけです。 しかしながら、私たちにも、そうしないと人に悪く思われるかもしれないから、とか、そうすると人から信仰深いと見てもらえそうだから、とかいうような理由でことを行っている、というようなことはないでしょうか。自分自身の動機がどこにあるのか、神様がそう望んでおられるから、神様がそう導かれているから、或いは、そうすることで神様ともっと近づくことができるから、ということが動機になっているのか、ここでイエス様が「偽善者たち」と呼ぶ人達と同じようなことを動機にしてはいないか、もう一度自らの在り方を顧みさせていただきましょう。 19節から34節まででは、この世での生活に心奪われることのないように、ということが警告されています。31節で言われているように、私たちにはともすれば、どうやって生活していこうか、ということの不安や恐れに圧倒され、神様どころではない、と思ってしまいがちな所があるのではないでしょうか。しかし、33節で言われているように、それは物事の順番を間違えた態度なのです。神様を第一とし、神様に従って行く者の必要を、神様は必ず満たして下さるお方なのです。このお方を、そしてこのお約束の言葉を心から信頼し、このお方にひたすら従って行く者とならせていただきましょう。 中谷建晴 |