聖書一日一章メッセージ集



堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                      マタイ 27章

「すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。・・・また、墓が開いて、眠っていた多くの聖徒たちのからだが生き返った。」
                  (マタイ 27:51、52)

 ピラトによる裁判からイエスさまの死、埋葬に至る出来事全体から強く心に迫ってくるのは、人々の騒々しい動きとその中で沈黙を守られるイエスさまの静けさです。イエスさまを裏切ったユダは後悔して銀貨三十枚を神殿に投げ込み首をくくって死にました。祭司長や民の長老たちはユダの総督ピラトにイエスさまのことを激しく訴えました。ピラトは彼らの訴えが祭司長や長老たちのねたみによるものだと悟ってイエスさまを釈放しようとしました。彼の妻もイエスさまと関わることをとどめようとしました。ピラトは、祭りの時に特赦で囚人をひとり釈放する慣例を思いつき、札付きの囚人バラバかイエスかと問いかけてイエスさまを釈放しようと努力しました。ところが群集は“バラバをゆるせ、イエスを十字架につけろ”と叫びだし、ピラトは、暴動になるのを恐れてイエスさまの十字架刑を認めました。刑の執行に当たった兵士たちも、一緒に十字架につけられた死刑囚も、十字架の周りに集まった人々も、イエスさまをののしり騒ぎました。その中でイエスさまは沈黙を守りとおされました。ところが、十字架の上で息を引き取られる直前、イエスさまは「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てにうなったのですか。」と叫ばれました。神に捨てられたのです。人の罪を背負われたからです。しかし、そのイエスさまの死によって、神と人とを隔てていた神殿の幕が裂け、神と人との交わりが回復されました。それが神のみころであり、イエスさまはその神のみこころに身を委ねられたのです。

                            唄野隆                      



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