聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 マタイ 26章 「これはわたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。」 (マタイ 26:28) イエスさまは、ご自分が過ぎ越しの祭りのとき十字架につけられる、と言われました。一方、祭司長、民の長老たちは、イエスを捕らえようと相談しながら、祭りの間は避ける、と決めていました。ところが、事態はイエスさまの言われたとおりに展開していきました。イエスさまの十字架への歩みの主導権を握っておられたのはイエスさまでした。イエスさまを愛する女がイエスさまに香油を塗ったことを、ご自分の埋葬の備えとされ、他の弟子たちに気づかれぬようにユダに裏切りの罪の警告を与え、過ぎ越しの食事を備えさせ、そこで多くの人々の罪の赦しのために血を流されることを語られました。ひとに殺されるのではなく、ご自分で十字架につかれるのです。また、弟子たちの裏切りを予告され、絶対に裏切らないと言い張るペテロに、彼は三度、主を否むだろうと予告されました。そして、そのとおりに、ペテロは三度イエスさまを知らないと言いました。しかし、後にこのペテロを主は初めの召しに回復されるのです(ヨハネ21:115−22)。ゲッセマネの園でひとり御父に祈り、御父のみこころに従って罪の贖いのための死に向かって進む決意をされ、ユダの連れてきた群衆に身を委ね、大祭司のもとでの裁判でもご自身の一言で死刑の決定を導き出されました。イエスさまは、ご自分で、罪の贖いのためにご自分の身をささげてくださったのです。私たちを救うのはイエスさまのみこころなのです。私たちはただ感謝して受けるほかありません。 唄野隆 |