聖書一日一章メッセージ集



堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                      マタイ 25章

「主よ。いつ、私たちは、・・・。」
                     (マタイ 25:37)

 イエスさまは、主は予期しないときに突然来られるからいつも目を覚まして備えているように、と告げられましたが(24:42)、さらに三つの譬えをもって、ねんごろに語り続けられました。良い備えをもって主を迎えさせたい、という主のみ思いが伝わってきます。第一の譬えでは、ともし火をもって花婿を迎えに出た乙女たちのうち、油の用意をしていた者たちは花婿を迎えて婚宴に加わることができるが、油の用意の無い者は捨てられる、という譬えです。この油は聖霊を示しており、聖霊によって新しくされた者が主をお迎えできるのであって、生まれつきのままの自分自身では再臨の主をお迎えできないのだ、と受け止めました。第二の譬えは、主人からそれぞれお金を託されたしもべたちのうち、それを用いて主人のために益をもたらした者は、その成果の大小に関わらず、主人の賞賛と報いを得るが、失敗したときのさばきを恐れて隠しておいた者はさばかれる、という譬えです。聖霊をいただいても、聖霊に自由に生きていただくことが大切で、自分の思いで聖霊のお働きを抑えとどめている者からは、聖霊ご自身、立ち去られます。私たちの日常生活の中で、いつも、聖霊に、ご自由に生きていただくことが大切です。最後の譬えは、主のためと意識的に行う劇的な行いや大決心をしてささげる献金などではなく、日常的な普通の人々との関わりをごらんになって、主は、御国に迎え入れる人と退ける人を見分けられることを示しています。日常生活が御霊による歩みに変えられていることが主をお迎えする備えなのです。

     唄野隆                      



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