聖書一日一章メッセージ集



堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                      マタイ 24章

「だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。」
                     (マタイ 24:42)

 イエスさまは、オリーヴ山から、エルサレムを見下ろし、その滅亡を語られました。弟子たちは、終わりの日にはどんな前兆があるか、と聞きました。その時のために備えをしておかなくてはならない、と考えたのでしょう。イエスさまは、偽キリストが現われ、戦争、飢饉、地震の到来を話されましたが、それはまだ産みの苦しみのはじめで、さらに、主の名のための迫害が起こり、多くの偽預言者が現われ、人々の愛は冷える、と続けられました。しかし、特別の備えを指示されませんでした。直ぐ逃げよ、と言われました。主が来られるのは、全くの突然で、いなづまが東から出て西にひらめくように、一瞬のうちに、全世界に及びます。どんな準備も役に立ちません。それなのに、主は、「だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。」と語られます。そして、突然、帰ってきて、しもべたちの普通の日の仕事ぶりを見、さばきを行う主人の譬えを語られました。主を迎える備えは、特別の備えではなく、日常生活そのものが備えになっていることが必要なのです。日常生活が変えられるよう御霊さまのお働きを祈り求めました。昔、クリスチャンの研究者が、再臨の主をお迎えするときどうするか、と問われて、“いつものように試験管を見ている、主がこられたら、試験管を置いて、立ち上がり、お迎えする”と答えた、という話を聞いたことを思い出します。こんな生活で主をお迎えする者でありたい、と思います。

    唄野隆                      



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