聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 マタイ 21章 「家を建てる者たちの見捨てた石。それが礎の石になった。これは主のなさったことだ。私たちの目には、不思議なことである。」 (マタイ 21:42) この章全体を通じて、イエスさまがご自身、主であることを示してくださったことと、人間の世界だけに心を奪われていた人たちがそれを認められなかったことが、響いてきます。イエスさまは子ろばに乗ってエルサレムに入場されました。人々は、王を迎えるような賛美をもってイエスさまを迎えました。その背後に主の手がはたらき、人々を動かして、そうさせておられるのがうかがえます。神さまは御子イエスさまの権威を示されたのです。イエスさまはきよめもさばきもみことば一つで成し遂げられます。しかし、祭司長や律法学者たちは、この世の秩序や利益に目を奪われ、天からの霊の世界には全くの盲目でした。イエスさまの天来の権威は見えず、それを見るように促されても、目を閉じました。ヨハネのバプテスマは天からか人からかと聞かれたときも、素直にその問題に直面しませんでした。天からだと答えればなぜ信じなかったのかと言われるだろうし、人からだと言えば彼を信じている群衆の非難を浴びるから、と人の反応だけを見、「わかりません。」とごまかしました。こういう、責任をもって問題に直面することを避け人間の秩序に隠れて自分を守ろうとする者には、主もまっすぐにご本心を明かされません。しかしイエスさまは、そういう人の拒否に身を任せ、殺され、その死によって、すべての人の罪の贖いとなってくださったのです。人の拒絶が救いとなる! この不思議を見せられては、ただただ感謝と感嘆の叫びを上げるのみです。 唄野隆 |