聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 マタイ 11章 「父のほかには、子を知る者がなく、子と、子が父を知らせようと心に定めた人のほかは、だれも父を知る者がありません。」 (マタイ 11:27) イエスさまのところに、バプテスマのヨハネが、弟子たちを通して、「おいでになるはずのお方はあなたなのですか。」と尋ねてきました。イエスさまのお働きが、ヨハネの期待していたような働きでなかったので、不安になったのでしょう。イエスさまは、「自分たちの見たり聞いたりしていることをヨハネに報告しなさい。盲人が見え、足なえが歩き、・・・。」とお答えになりました。イエスさまのなさっていたことは、イザヤの預言そのままでした(イザヤ35:5,61:1)。事実と聖書の預言とを見て、自分で判断するように求められたのです。主の前では自分の責任ある応答が求められるのです。人は、自分の責任ある判断や決断を恐れ、誰かの責任にすり替えます。“笛を吹いても踊らない、弔いの歌をうたっても悲しまない”と自分の思い通りに動かない人を非難し、自分の責任を負おうとはしません。ヨハネやイエスさまに会い、メッセージを聞いても、その行動を批判して、悔い改めませんでした。主は、利益は得ようしながら責任を回避する人々のようではなく、幼子のようにすなおに自分の気持ちを表わす正直な人々を喜ばれます。また、イエスさまのなさった御業を見ても悔改めなかった町々を攻められましたが、イエスさまをどう見るかが問題なのです。イエスさまと父なる神さまはひとつだからです。「私は、疲れたとき、重荷を負ったとき、周りや自分自身のことにわずらわされず、まっすぐ主の御許に参ります。助けてください。」と祈りました。 唄野隆 |