聖書一日一章メッセージ集



堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                       マタイ 6章

「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」
                      (マタイ 6:33)

人は、皆、自分を認めてもらいたいと思っています。ですから、施しなどの善行、祈り、断食などの宗教的な行動においても人に見てもらおうとします。しかし、イエスさまは、人を相手にするのでなく、隠れた所におられる主を見て生きるように、と勧められます。人を相手にする生き方は、成功して人々の賞賛を浴びても報いはそこまで、神さまにほめていただけるわけではありません。むしろ、そのような自己主張は主のお喜びにならないところです。ですから、施しをするようなときはひそかに行い、祈るときは密室で隠れた所におられる御父に祈るように、断食も人目につかないように、と勧められるのです。主は隠れた所で見ていてくださり、答えてくださるのです。お前は、何に目を向けて日々の生活を営んでいるか、と問われます。祈りのところで、イエスさまは、「主の祈り」として知られている祈りを教えられましたが、この祈りは、祈る人の願いが第一の祈りではなく、主の御名が崇められ、主のみこころが行われ、主のご支配が確立されるように、と主のことを第一にする祈り、その中で、私たちの必要が満たされ、罪が赦され、生活が守られることを願い、自分のつとめは果たすという責任ある応答を示す祈りです。お前の祈りはどんな祈りか、と問われるのを覚えます。何よりも主を第一にすることが大切なのです。そのとき、私たちの必要もまた満たされる、と主は宣言されています。「主よ。私を主第一の生活に導いてください。」と祈ります。

                           唄野隆



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