聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 マタイ 2章 「これは預言者たちを通して『このかたはナザレ人と呼ばれる。』と言われた事が成就するためであった。」 (マタイ 2:23) イスラエルは、救い主を待ち望んでいたはずですが、イエスさまの誕生を祝うためにやって来たのは異邦人の東方の博士たちでした。彼等は星を見てユダヤ人の救い主の誕生を知り、千里の道を遠しとせずユダヤまで来ました。彼等は今で言うと科学者で、先入観にとらわれず、虚心坦懐に真理を求めていたようです。主は彼らを祝福し、彼らに救い主の誕生を示されました。しかし、彼等が幼子イエスに会うことができたのは、聖書の預言を知らされ、それに従ったからでした。ヘロデ王は彼らから情報を得て、幼子イエスを見つけ出し、殺そうとしましたが、主は、夢で博士たちを別の道に導き、ヨセフの家族をエジプトに逃れさせられました。イエスさまの祝福を受けたのは外国人で、ユダヤ人ではありませんでした。彼らが自分を守ろうとする思いにとらわれていたからでしょう。ヘロデは王としての地位や権力を守ろうとし、エルサレムの人たちはユダヤ社会の上流または指導者層としての自分たちの地位や生活にとらわれていました。自分を守ろうとする姿勢は主の恵みを受ける妨げになります。信仰でも、自分を捨てて主にすがる信仰が大切なので、自分の信仰を誇り、自分の信仰的立場を守ろうとすれば恵みを失います。また、人の世界のいろいろな思惑や迫害にも関わらず、主のご計画は、ずっと昔に預言されていた通りに、進むことに目が留まります。「主のご計画の確かさを信じ、聖書のみことばに示されていることを信じて歩みます。」と祈りました。 唄野隆 |