聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「さて、安息日が終わったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとは、イエスに油を塗りに行こうと思い、香料を買った。」(マルコ16:1) 今日のマルコの福音書16章には、イエス様の復活の様子が簡潔に記録されています。 1節に書かれているように、安息日が明けた日、今の日曜日の朝、3人の女性が、時間がなくてきちんと埋葬できなかったイエス様のご遺体を、せめてきちんと整えさせてもらおうとしてお墓に行きました。しかも、3節で言われているように、墓の入口は大きな石で塞がれていたので、せっかくお墓まで行っても、中に入れないで何もできないまま帰らざるを得ないだろうという状況でした。しかし、それでもお墓まで行ったことによって、彼女たちは、イエス様が復活されたということを真っ先に知るという栄誉に与かることができたのです。 イエス様を愛して、せめてこれぐらいはさせてもらおうという思い、イエス様を愛するがゆえに、無駄になるかもしれないけれどもやってみようとすること、それらを神様は用いて下さるのです。 8節では、イエス様の復活を知らされた弟子たちが非常な恐れを抱いたということが記されています。本来、復活とはそのような恐るべきこと、それを知らされた者の人生を変えてしまうほど衝撃的なものなのです。にもかかわらず、私たちはいつの間にか、その恐るべき復活の事実を軽く受け止めてしまってはいないでしょうか。死んだ人が復活したという驚くべき事実、だとしたならば、おっしゃっておられたようにイエス様は神の子でありながら私たちの罪を身代わりに背負って死んで下さったという事実を、もう一度、しっかりと心に留めさせていただきましょう。 中谷建晴 |