聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。」(マルコ11:25)

 今日のマルコ11章ではいよいよ、イエス様がエルサレムにやって来られた当初の出来事が記されています。
 1節から7節では、イエス様がエルサレムに上られる時に乗るロバが不思議な形で備えられたことが記されています。御心を成すために必要なものはイエス様が用意して下さるのです。ですから、私たちが思い悩むべき問題は、どうやって必要なものを揃えようか、どうやって必要を満たそうかということではなく、自分のしようとしていることが御心なのかどうかなのです。
 8節の上着を道に引くとは王様やそれに近い人を迎える時に敬意を表すための当時の習慣、また、枝ごと切って来た木の葉を引きつめ、9節から10節に記されている言葉を呼びかけることは、かつて敵の手に陥っていたエルサレムを奪い返した王族を迎えた時のことを再現したものであるようです。これらのことは、人々が、イエス様のことを政治的・軍事的な勝利をもたらす、そのような意味での王様、救い主と思っていたことを示しています。しかし、イエス様が彼らの期待していたような王様でないということがわかって来ると、15章の13節などで記されているように、人々はイエス様を十字架にかけて殺してしまえと叫ぶようになるわけです。しかし、私たちも自分の期待通りかどうかで人を判断し、期待通りでないからと怒り、退けるというようなことをしていることはないでしょうか。
 間違った期待にさらされる中でもイエス様はご自分が神様から託された使命を果たし、おりを見ながら、22節から25節では祈りについて教えておられます。そこで教えられているように、信仰と赦しを持って祈り、祈りに応えて下さる神様を私たちも経験させていただきましょう。
 
 中谷建晴



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