聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「イエスは先頭に立って歩いて行かれた。弟子たちは驚き、また、あとについて行く者たちは恐れを覚えた。」(マルコ10:32) 今日のマルコの福音書10章でも、十字架にかかって死ぬために、イエス様が弟子たちを連れて、エルサレムに上って行かれるその旅の途中に出会った出来事が記されています。32節で言われているように、待っているのは苦しみと辱めでしかないということがわかっていても、それでも父なる神様の御心に従おうとして、エルサレムに向かうイエス様の姿は周りの者が恐れを感じざるを得ないほどのものだったようです。 2節から12節の結婚についての問答の中での11節のイエス様のお言葉は当時のユダヤ人たちにとっては衝撃的であっただろうと言われています。というのも、圧倒的に男性優位、男尊女卑の当時のユダヤ人社会では、男性が妻以外の女性と性関係を持ったならば、その男性は、相手の女性の夫に対して姦淫の罪を犯したと責められるけれども、自分の妻に対してそう言われることさえなかったからです。それに対してイエス様はここで、女性の立場を男性と同等のものであることを当然の前提として語られたわけです。 また、13節から16節では、イエス様は、大人よりも一段低い存在と見做されていた子どもたちを受け入れておられますが、そのようにイエス様はどんな立場にいる者であっても、人間一人一人を、対等の、かけがえのない大切な存在として扱って下さるお方なのです。 17節から22節で、イエス様とやり取りをしている青年は、自分が結局、自分のために生きているということ、律法を守ることでさえも、神様を愛してではなく、あくまで自分のためであるということに気づこうとしないまま、そのことに気づかせようとした21節のイエス様のお言葉に背を向けて去って行ってしまいました。しかし、私たちも、そうすることで何が得られるか、という結局、自分のためという生き方に止まってはいないでしょうか。 中谷建晴 |