聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「しかし、弟子たちは、このみことばが理解できなかった。また、イエスに尋ねるのを恐れていた。」(マルコ9:32)

 今日のマルコの福音書9章の前半、2節から29節では、いわゆる変貌山の出来事とその直後に降りかかって来た問題に、イエス様がどう対処されたか、ということなどが記されています。
 その前、冒頭の1節は、昨日の8章の最後の38節の補足のようです。すなわち、8章38節でイエス様が預言されていること、イエス様が今度は栄光の王としてやって来られる、ということが間もなく目に見える形で明らかにされるということのようです。そして、それはどうやら聖霊が下り、全世界に福音が伝えられ始め、教会が建て上げられ始めたペンテコステの出来事を指しているようです。
 ただし、続く2節から8節の、いわゆる変貌山の出来事も、別の意味で、やがてイエス様が、栄光の王としてやって来られるということを示す出来事だと言えるのではないかと思われます。
 その後、おしの霊につかれた子どもの問題に対処された後、30節で言われているように、イエス様は南へ下って、もう一度、ガリラヤ地方に戻り、それからさらに南のユダヤ地方に、そこにある都エルサレムに、十字架にかかるために向かって行かれるわけです。ペテロを、8章29節に記されていたイエス様こそが「神の子、キリスト」であるという告白に導かれたのも、変貌山でご自身の栄光の姿をペテロたちに垣間見させられたのも、全て、自分が十字架にかけられて殺されるという事態に弟子たちを備えさせるためであったようですが、9章32節で言われ、34節で示唆されているように、弟子たちはそのことが全くわかっていなかったようです。私たちも、この時の弟子たちと同じ様に、自分のことばかりで、イエス様の御心が全くわかっていないままということはないでしょうか。

 中谷建晴



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