聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「イエスは言われた。『まだ悟らないのですか。』」(マルコ8:21) 今日のマルコの福音書8章には、6章の後半に記されていたのと同じ様に、イエス様が殆ど何も食べる物がなかった所から、何千人という人々に、皆がおなかいっぱいになるほどの食べ物を与えられたこととその出来事を巡ってのイエス様と弟子たちとのやり取りが主として記されています。 2節から3節のイエス様のお言葉から、イエス様が食べ物を用意してあげる以外にはどうしようもない事態であったことがわかります。しかし、続く4節の弟子たちの言葉は、それは人間的に考えればとても不可能であったことを示していますが、そういう状況の中でイエス様は、そのどうしても必要なことを成して下さったのです。 どんなに人間的に考えれば不可能としか思えなくても、是非ともそうする必要があるなら、それ以外にもうどうしようもないなら、イエス様はそのことを成して下さるのです。 14節から16節の弟子たちの議論は、彼らがそのことをまだわかっていなかったことを示しています。17節で、イエス様はそのような弟子たちを責めているわけですが、しかし、私たちも同じ様に、どうしても必要なものはイエス様が必ず与えて下さるということ、だから、大事なのは、34節でイエス様がおっしゃっているように、自分自身がイエス様にお従いしているか、そうしてイエス様が自分と共にいて下さるかどうかであって、どうやって必要を満たすか、とか、誰のせいで、何のせいでそのような差し迫った事態に陥ってしまったのかということは本当は問題ではないのに、その本当は問題ではないことばかりを問題にしている、イエス様にお叱りを受けた弟子たちと同じ様なことをしているということはないでしょうか。もう一度、自らを顧みさせていただきましょう。 中谷建晴 |