聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「『さあ、あなたがただけで、寂しい所へ行って、しばらく休みなさい。』」(マルコ6:31) 今日のマルコの福音書6章では、まず1節から6節で、イエス様が郷里であるナザレで信仰をもった応答を受けることができなかったことが記されています。ナザレの人々は、自分たちはイエス様のことをよくわかっていると思っていたがために、イエス様の本当の姿を、一番肝心なことを見ることができなかったのです。私たちも、よくわかっていると思っているがために、実は本当の意味でイエス様がわかっていないままになってしまっているようなことはないでしょうか。 7節から13節では12弟子が、ナザレをも含むガリラヤと呼ばれる地域の各地に二人一組で宣教のために遣わされたことが記されています。イエス様が彼らに与えた指示を見ると、本当に信仰が試される旅だったと思われますが、12節や13節、30節などからは、12弟子が行く先々で大きく用いられたことを伺い知ることができます。このことは、本当にそんなことでやって行けるのかと、信仰が試されるような所を通ってこそ、神様に用いていただくことができるということを示しているのではないかと思われます。人間的な意味で見通しが立つ、信仰が問われないで済む所に止まっている限り、神様に用いていただくことも、そうして、神様の御栄光を拝することもできないままになってしまうのです。 31節でイエス様は、神様に用いられ、神様の御栄光を拝する数々の経験をして来た弟子たちに休息を命じられています。イエス様は私たちの弱さもよくご存知でいて下さり、配慮して下さるお方、その上で、なお私たちを豊かに用いようとして下さっているお方なのです。ですから、イエス様に身を任せることによってこそ、私たちは最も豊かに用いていただくことができるのです。 中谷建晴 |