聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「だれも新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。」(マルコ2:22)

 今日のマルコの福音書2章から明日の3章の6節まででは、ガリラヤでの、イエス様とイエス様に敵対する律法学者、パリサイ人たちとのやり取りが記録されています。
 1節から12節に記されている出来事からは、イエス様の一番の目的は罪の赦しをもたらすことであったこと、また、イエス様にとって歩けなかった人を歩けるようにすることなど、難しいことではなかったことがわかります。また、中風の人の友人たちは、その人をイエス様の所に連れて来るために、他人の家の屋根をはがして、穴をあけるという非常識で、大変迷惑なことをしたわけですが、イエス様はそういうことを咎められませんでした。イエス様はそういうことを問題にされる方ではないのです。にもかかわらず、非常識ではないか、迷惑にならないか、などといったことばかり気にして、肝心なイエス様に対する真剣さや、信実さといったことを等閑にしていることが私たちにはないでしょうか。
 その一方で律法学者たちは、あくまで、それまで自分たちが持っていた枠組みからイエス様を見て、非難しました。15節から17節のイエス様とパリサイ派の律法学者たちとのやり取り、18節から22節までのイエス様とヨハネの弟子たち、パリサイ人たちとのやり取り、23節から28節のイエス様とパリサイ人たちとのやり取りは、彼らが、それまで自分たちが持っていた枠組みからイエス様を見ようとしていたこと、そのような姿勢ではイエス様のことがわからないままになってしまうということを示しています。そうではなくて、自分のそれまで持っていた枠組みを置いておいて、立ち上がってお従いして行く時にこそ、イエス様を本当に知ることができるのです。私たちはそのようにさせていただこうではありませんか。

 中谷建晴



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