聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 マルコ 8章 「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについてきなさい。」 (マルコ 8:34) イエスさまが、ついてきた大勢の人々を見、彼らが空腹で食物を必要としているのをご覧になって、彼らに食べ物を与えよ、と言われたとき、弟子たちは、集っている四千人に自分たちの持っている七つのパンではとても無理だと言いました。イエスさまは彼らの持っている七つのパンを差し出させ、それを感謝し祝福して配らせると、皆、満腹してあまりが七つの篭いっぱいになりました。その後、パリサイ人が来てしるしを求めると、それを退け、弟子たちに、パリサイ人のパン種を警戒せよ、と言われました。弟子たちは自分たちがパンを持ってくるのを忘れたことに目を向け、内輪で議論を始めました。イエスさまは、五千人の給食と四千人の給食の奇跡を思い出させ、人の世界でなく、それを支配しておられる神さまに目を向けるように導かれました。目の見えない人が連れてこられると、彼を人の見ていない村の外に連れ出し、彼を癒し、そのことをひとに知らせないように命じられました。人は目に見える外面を見ますが、イエスさまは、人の世界でなく、神さまの世界に目を向けるように導かれるのです。ペテロがイエスさまはキリストだと告白したことを喜ばれましたが、救い主が死ぬなどというようなことがあってはならないと言うペテロに、人間的な判断で神さまのみこころを曲げることはサタンの仕業だと厳しく叱られました。自分の考えを捨て主に従うことが生きる道なのです。わからなくても主のみことばを受け入れ、従います、と祈りました。 唄野隆 |