聖書一日一章メッセージ集



堺大浜キリスト教会聖書一日一章

                       マルコ 3章

「しかし、聖霊をけがすものはだれでも、永遠に赦されず、とこしえの罪に定められます。」
                      (マルコ 3:29)

 イエスさまが会堂にはいられると、片手のなえた人がいました。人々は、イエスさまが安息日に彼を癒すかどうかを見ようとしました。イエスさまは彼をみなの前に立たせ、“安息日に病を癒して善をするのがよいか、見過ごしにするのは悪ではないか”と問いかけ、彼を癒されました。パリサイ人たちは、すぐ、ヘロデ党の者と組んで、イエスさまを葬る相談を始めました。彼等は、宗教的な教えや習慣を守ることを第一にし、主ご自身と主のみ思いに目を向けることはしませんでした。これが人間の世界での宗教的な人です。イエスさまは山に上り、ご自分の望まれる者たちを呼び出し、弟子とされました。彼らをみそばに置き、福音を宣べ伝えるために遣わし、悪霊を追い出す権威をもたせるためでした。主の弟子として最も大事なのは主のそばにいること、それから福音を伝えること、そして権威です。しかし、人は、まず権威を求め、主のみそば近くいることを求めないものです。主の召しを覚える者は、まず、自分が主のそば近くいることを喜び感謝しているかを吟味すべきです。主を第一にする人は世の人々の誤解を招きます。イエスさまも、親族の者からは狂ってると思われ、律法学者たちからは悪霊によって悪霊を追い出している、と非難されました。しかし、素直にイエスさまを見ず、悪意を持ってイエスさまの善きものを否定するのは聖霊をけがすことです。まっすぐイエスさまを見上げ、信頼をもってイエスさまのおことばを聞く者でありたい、と思います。

   唄野隆                      



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