聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった。」(ルカ24:31)

今日のルカの福音書24章では、イエス様の復活に関するエピソードが大きく分けて3つ記録されています。その中でも、2番目に当たる、13節から35節の、エマオという町に行く途中で2人の弟子にイエス様が出会われたことが、ここでは特に詳しく記されています。
15節や、19節から24節で二人が語っている内容、また、25節から26節にかけてのイエス様の嘆きなどを見ますと、彼らがイエス様の身に起こった事柄はよく知っていたものの、その意味する所が全然わかっていなかったことがわかります。イエス様抜きでいくら議論を重ねても、イエス様のことはわからないのです。17節の最後に記されているように、わからない、どうしていいかわからない、と暗い顔つきになるしかないのです。私たちの交わりも、そのようなものとなってしまっては、イエス様抜きで、暗い顔つきをしながら、嘆き合うようなものになってしまってはいないでしょうか。何よりもまず、私たちの中にイエス様をお迎えさせていただきましょう。
16節に記されているように、この二人の弟子は、そこにいて下さるお方がイエス様であるのに、それとはわからないままでした。しかし、30節から31節にかけてで、パンが祝福され、裂かれ、配られた時、イエス様がそこにいて下さるということがわかったのです。これが聖餐式の意味する所です。私たちも心から聖餐式を守り、イエス様が共にいて下さることを味わい、かみしめながら歩む者とならせていただきましょう。
36節以降では、11人の弟子たちが集まって、復活のイエス様のことを語りあっている、その最中に、その真ん中にイエス様が現れて下さったことが記されています。イエス様はそのような復活の主を信じ、復活の主に思いを向ける者たちの交わりの中に現れて下さるのです。これが礼拝です。私たちも主の日の礼拝を固く守り、主の日ごとに復活の主に出会い、復活の主の証人として日々歩む者とならせていただこうではありませんか。

中谷建晴



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