聖書一日一章メッセージ集![]()
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| 堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「イエスは彼に言われた。『まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、 わたしとともにパラダイスにいます。』」(ルカ23:43) 今日のルカの福音書23章では、イエス様が十字架につけられ、死なれた時の様子が主に描かれています。イエス様が十字架につけられた時、その右と左に、別の犯罪人が十字架にかけられたことは、他の福音書全てに記されていることですが、このルカ23章では、その二人の犯罪人とイエス様とのやり取りが詳しく記録されています。 イエス様からすればこの二人の犯罪人と一緒に、十字架にかけられたこと自身が大きな屈辱であったと言うことができるでしょう。4節、15節、22節でピラトが言っているように、また、47節で百人隊長が言っているように、イエス様は何の罪もないのに十字架にかけられることになってしまいました。しかしながら、そういうものとして、いわば悲劇の主人公として、人々の不当な行いの犠牲者としてそれとはっきりわかる形で、他の十字架にかけられる人とは区別された形で、そうされるならば、まだしもであったのではないか、と思われます。しかし、イエス様は、実際には、他の犯罪人たちと一緒に、同じ様に当然罰を受けるべきもののようにして十字架にかけられたのです。このことは、イエス様が、私たちの罪をそのまま引き受けて下さったことをよく示しています。それと同時にイエス様が徹底した辱めを受けて下さったことをも示しています。イエス様が私たちのためにどんなに大きな犠牲を払って下さったかをもう一度、覚えましょう。 39節から43節では、イエス様の右と左で十字架につけられていた犯罪人の一人がイエス様をあざけったのに対して、もう一人はイエス様を神の子、救い主として受け入れたことが、そして、その者には天国が約束されたことが記されています。もう死ぬのを待つだけでしたから、彼には何もすることはできなかったわけですが、ただ信仰のゆえに彼は救われたのです。同じ様に、私たちも、何もできなくても、イエス様を、神の子として信じ、救い主として受け入れるならば、ただそれだけで救いに与かることができるのです。そのようにして、天国に、永遠のいのちに入れていただく者とならせていただきましょう。 中谷建晴 |