聖書一日一章メッセージ集![]()
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| 堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22:32) 今日のルカの福音書22章では、最後の晩餐から、イエス様が逮捕され、裁判にかけられるようになるまでのことが記録されています。 2節で、祭司長、律法学者たちが、イエス様を殺そうと堅く決めていたこと、けれども下手なやり方をすると群衆が大変な反応をするかもしれないことを恐れて、うまい方法はないかと、考えていたことが記されています。御心に反する行いとは、このようなものではないでしょうか。こんな風にまで方法について考えないといけないのは、誰が何と言っても断固としてするというのではないのは、やろうとしていることそのものが神様の御心に反すること、正しくないことなのではないか、と彼らは考えつかなかったようです。私たちはどうでしょうか。あれこれ方法を考える前に、やろうとしていることそのものが御心にかなうものかどうか、もう一度、考え直す必要、祈り直す必要があるということはないでしょうか。 14節から38節には、最後の晩餐の席の様子が記されています。24節を見ますと、十字架の苦しみと辱めを目の前にして、イエス様が語っておられるにもかかわらず、弟子たちは誰が一番偉いかというような議論をしていたというのです。私たちもイエス様がどれほど私たちを愛し、どれほど大きな犠牲を払って下さったかを忘れ、イエス様の十字架を忘れ、他の人と自分を比べていたり、他の人のことをとやかく言っていたりということはないでしょうか。この心ない弟子たちの姿そのままだということはないでしょうか。 しかし、28節を見ますと、そんな弟子たちをイエス様がほめ、感謝していることが、また、32節を見ると、自分を裏切ることになるペテロになおも使命を託しておられることがわかります。同じ様に、イエス様の苦しみや痛みをそっちのけにして、自分のこと、他人のことばかり気になっているような私たちをイエス様はお見捨てにならず、喜んでいて下さり、ご自分の栄光のために用いて下さろうとしているのです。この愛と赦し、忍耐に応えて、イエス様のために生きる者とならせていただこうではありませんか。 中谷建晴 |