聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなかったら、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょう。」(ルカ16:11)

今日のルカの福音書16章には、この世の富に関する、イエス様の例え話や直接的な教えが集められています。
1節から9節の例え話の中に出て来る不正な管理人が、8節の後半でほめられているのは、その抜け目なさのゆえであって、忠実さのゆえではありません。ですから、10節から12節のイエス様のお言葉は、だからといって不正をよしとしているわけではない、むしろ逆であるということを語った、補足、あるいは、注釈、とでも呼ぶべきものではないか、と思われます。
  9節に「友」という言葉が出て来ます。当時のユダヤでは、十戒の第三戒「主の御名をみだりに唱えてはならない。」を厳格に受け取って、神様のことを持って回った言い方で表現することが多かったようですが、そういう持ってまわった言い方の一つとして神様を指すのに「友」という言葉が用いられるということもあったようですが、おそらくは、9節での「友」もそれではないか、と思われます。
11節の「不正の富」とは、この世の富、という意味のようです。そして、12節では、それは「他人のもの」すなわち、神様のもの、神様に管理を託されているものだと言われています。私たちがこの地上で与えられているものは、生まれつきの知能も、友達も、あるいは、世界有数の豊かな国である日本の国に生まれてきたことも、その殆どが与えられたものと言わざるを得ないものなのではないでしょうか。そして、それらは全て、相応しく用いるように神様が託して下さったものだというのです。私たちはどうでしょうか。それら与えられたものを、せっかくの自分のものなのに、と惜しんだり、もったいぶったり、というような見当外れの態度を取って、結局、自分に与えられているものを無駄にし、周りをも自分をも駄目にしているようなことはないでしょうか。自らの在り方を顧みさせていただきましょう。

中谷建晴



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