聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」(ルカ15:10)

今日のルカの福音書15章には、神様が一人の人が救われることをどんなに喜ばれるかということを語った例え話が3つ収録されています。
1節から2節では、イエス様がこれらの例え話をお話しになったきっかけがどういうものであったのか、ということが記されています。罪人と呼ばれるような、当時の宗教的指導者たちにとっては接触を持つことすら考えられなかったような人たちとイエス様は食事を共にされました。そのことが非難された時に、その非難に応えて、イエス様が語られたのが、これらの例え話だったわけです。
4節から7節の例え話、8節から9節の例え話では、一人の人を追い求める神様の必死な思いと、その一人が救われることが神様ご自身にとってどんなに大きな喜びであるのか、ということがよく表現されているのではないでしょうか。
それらの例え話の中で最も長くて、最も有名なのが、11節から32節のいわゆる放蕩息子の例え話です。20節の父親の姿は、父親が自分の元を去ってしまった弟息子の帰りを毎日、目を凝らして待っていたことを示唆しています。神様は私たちを、行方知らずになってしまった息子を待つ父親のような思いで待っていて下さるのです。今すぐ神様の元に立ち返らせていただこうではありませんか。
25節以降に登場して来る兄息子は、当時のユダヤの宗教的指導者を象徴しているようです。29節の前半で象徴的に言われているように、彼らは熱心に掟を守っていましたが、29節の後半から30節でやはり象徴的に語られているように、彼らの内側は苦い思いで一杯だったわけです。しかし、そんな兄息子にこの父親がやさしく声をかけたように、そんな苦いものを持ち、いじけてしまっているような私たちをも神様はご自分のもとに招いて下さっているのです。その招きに応え、やはり、神様の恵みと祝福に与かる者とならせていただこうではありませんか。

中谷建晴



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