聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「『なぜ、わたしを「主よ、主よ。」と呼びながら、わたしの言うことを行なわないのですか。』」(ルカ6:46)

今日のルカの福音書6章の前半、19節まででは、安息日にしてはいけないはずのことをしたとして、イエス様が律法学者やパリサイ人たちからまともに敵意を受けることになってしまわれたこと、12弟子が選ばれたことが述べられ、後半、20節以降では、マタイの福音書5章から7章に記されているいわゆる「山上の垂訓」とよく似た内容のイエス様が語られた説教の中身が記録されています。そのイエス様の説教については、いわゆる「山上の垂訓」をルカの福音書の著者であるルカがルカなりにまとめたものであるという考えも、同じ様な内容の説教をイエス様が何回もされておられて、その別の一つをルカがここで取り上げたのだとする考えもありますが、どちらにしても結果として、大きな違いはないと言えるでしょう。
12節では、12弟子を選ぶ前、イエス様が徹夜でお祈りされていたことが記されています。イエス様でさえ、これほどお祈りをされていたのに、私たちはどうでしょうか。祈ることもしないで、決断を下し、後になって後悔するということを繰り返しているようなことはないでしょうか。まず祈って決めるそういう歩みの中にこそ、まず、祈りの生活があってこそ、神様の御心を確信できる平安な歩みがあるのです。
39節から42節では、自分のことは置いておいて、人のことを問題にするのは偽善的な態度である、ということが言われています。そして、43節以降では、自分自身が神様の御心に実際に従うことの大切さが語られています。私たちはどうでしょうか。神様の御心がどこにあるかを知っていながら、実際には、従わないままになってしまってはいないでしょうか。或いは、それ以前に、他のことを云々することにかまけて、自分自身に対する神様の御心がどこにあるかを求めようとしないままになってしまってはいないでしょうか。そのいずれの生き方も、49節で述べられているようにひどい結果が待っているのです。心しましょう。

中谷建晴



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