聖書一日一章メッセージ集
堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「『それでは、私たちはどうすればよいのでしょう。』」(ルカ3:10) 今日のルカの福音書3章は、前半がバプテスマのヨハネが果たした事の記録、後半がイエス様の系図となっています。23節で、イエス様は「人々からヨセフの子と思われていた」と言われているのは、1章35節で言われていたように、イエス様は実は聖霊によって生まれたお方であって、生物学的な意味ではヨセフは父親ではなかったからです。また、最後の38節を見るとわかるように、ここでの系図はマタイの福音書1章に出てくる系図とは違って、全人類の祖先であるアダムにまでさかのぼったものになっています。これは、この福音書の著者であるルカが、イエス様は、ユダヤ人のためだけではなく、全人類のための救い主だということを強調しようとしていたからだと考えられます。 前半に登場して来ているバプテスマのヨハネは1章5節から25節、57節から80節に記されていた祭司ザカリヤと妻エリサベツの間に、天使のお告げと共に与えられた子どもです。そのバプテスマのヨハネの役割とは、今日の3章の4節から6節で言われているように、イエス様のために道備えをすることであったわけです。それは具体的には、7節から14節で記されているように、人々に自分の罪を悟らせ、悔い改める必要があることをわからせるということでした。つまり、罪を悟って、悔い改めることがあってこそ、人はイエス様にある救いに与かることができるのです。 神様は、私たちに、まず自分が如何に罪深い者であるかを悟らせなさるのです。そうして、自分の罪を知って、10節、11節、14節で人々が言っているように、ではどうしたらよいのですか、と神様に叫び求めざるを得なくなった、その時にこそ、私たちはイエス様にある救いに、恵みに与かることができるのです。神様の前に心開いて、自分の罪を認め、けれどもだからといって絶望してしまうのではなく、神様に、イエス様に叫び求め、イエス様にある救いに与かる者にならせていただきましょう。 中谷建晴 |