聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「イエスは来て、パンを取り、彼らにお与えになった。」 (ヨハネ21:13)

今日のヨハネの福音書21章では、復活されたイエス様と弟子たちが弟子たちの故郷であるガリラヤで再会された時のことが記録されています。
マタイの福音書28章10節に記録されているイエス様の命令に従って、弟子たちはガリラヤに帰って来ました。イエス様が王様になられるという期待を抱きながら、ガリラヤからエルサレムに向かった弟子たちにとって事態は全く思いがけない展開になりました。また、弟子たちはエルサレムにいては、身の危険があって、絶えず緊張していなければいけませんでした。ですから、彼らには一旦、故郷のガリラヤに帰って、落ち着いた時間を過ごす必要があり、そこでこそ本当の意味でイエス様とお出会いすることができるということをイエス様はよくご存じでいて下さり、それがゆえにガリラヤに帰るように弟子たちに命じられたのではないか、と想像できます。私たちにも、主の日、日頃の緊張した生活を一旦離れ、教会に集って復活のイエス様とお出会いすることが大事なことなのです。
5節から6節の出来事は、ルカの福音書5章1節から11節の出来事の再現のようなものです。その出来事を通してペテロとヤコブとヨハネはイエス様につき従うようになったわけですが、彼らはそのことをここで思い出し、浜辺に立たれているのがイエス様だと気が付いたようです。
9節から14節でイエス様は弟子たちと食事を共にされていますが、特に13節のイエス様の振る舞いは最後の晩餐とその後、自分たちがイエス様を見捨てたことを弟子たちに思い起こさせるものであったのではないか、と想像されます。そういう中で、イエス様はペテロに語りかけられます。3度の質問はペテロが3度、イエス様を否定したことに対応しているようです。そのことを通して、イエス様はペテロにご自分が全てをご存じの上でペテロを赦し、なお愛し、なお用いようとされていることを伝えられました。イエス様は私たちの罪も過ちも、裏切りも、全てをご存じでありながら、なお私たちを赦し、愛し、なお用いようとして下さっているのです。このイエス様の愛と赦しに応えて生きる者とならせていただこうではありませんか。

中谷建晴



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