聖書一日一章メッセージ集![]()
![]()
| 堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。」 (ヨハネ17:21) 今日のヨハネの福音書17章では、弟子たちに最後の説教をされた後、イエス様が父なる神様にお捧げになられたお祈りが記録されています。18章の1節を見ますと、イエス様と弟子たちはこの後、オリーヴ山の麓のゲッセマネという名前の場所に移動したことがわかりますが、そこでイエス様は最後のお祈りをされ、その後、逮捕されることになります。 ここでのイエス様のお祈りは大きく3つに分けることができます。 まず1節から5節は、ご自分についてのお祈りです。イエス様はこれまで、2章の4節や7章の8節で「わたしの時はまだである」ということをおっしゃっていましたが、とうとうその時が来た、ということを1節でおっしゃっています。また、4節でイエス様は、父なる神様から与えられた全ての使命を終えた、とおっしゃっておられます。これらのことは、これから経験しようとされている十字架こそがイエス様の人間としての生涯のクライマックスであることをはっきり示しています。これまで行われて来た奇跡はその準備に過ぎないというのです。だとするならば、私たちの信仰の中心もイエス様の十字架の身代わりの死による罪の赦しであるはずなのです。奇跡や、何か目を引く出来事が自分の信仰の中心になっているとすれば、それは大きな間違いなのです。 6節から19節は、弟子たちのことについてのお祈り、20節から26節は弟子たちに続く者たちについてのお祈りです。その中でも21節から23節では、信じる者たちが一つとなることを通して世の人々がイエス様を知るようになるということが言われています。私たちがイエス様にあって一つとなることが何よりの証しなのです。へりくだってお互いに愛し合い、仕え合い、そのような交わりを建て上げる一人一人にならせていただきましょう。 中谷建晴 |