聖書一日一章メッセージ集![]()
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| 堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「わたしもあなたを罪に定めない。」 (ヨハネ8:11) 今日のヨハネの福音書8章の1節から11節では、姦淫の現場で捕まえられた女性をイエス様がどう扱われたかということが、12節以降では、パリサイ人たちなどの当時の宗教的な指導者たちとイエス様との議論が記録されています。 1節から11節の出来事は、6節ではっきり言われているように、律法学者とパリサイ人たちがイエス様を陥れるために仕組んだ罠でした。5節で彼らが言っているように、旧約聖書レビ記20章10節や申命記22章22節から24節などでは、姦淫を犯した者は、人々が石を投げ付ける、石打ちという方法で死刑にするようにと定められています。しかし、ユダヤがローマ帝国の支配下に置かれていた当時、死刑を執行するには、ローマ当局の許しが必要でしたが、ローマ当局がそういうことを理由に死刑を許可することはまず考えられないことでした。ですから、石打ちを命じなければ、イエス様は律法に忠実でない、ということになり、反対に石打ちを命じれば、イエス様はローマ政府への反逆者となってしまうというわけでした。人間的に考えれば、これはイエス様を窮地に追い込むことのできる完全な罠のはずでした。しかし、イエス様はパリサイ人や律法学者たちの予想を全く越えたことを語られ、この女を救い、またこの女に罪の赦しを与えられたわけです。 このように、イエス様は何とかして、罪の赦しと救いを与えようとして下さるお方であり、そのために最後には、十字架の上で身代わりの死を遂げて下さったのです。神の子であるイエス様が身代わりとなって死ぬ以外に解決のないほど私たちの罪が深刻なものであること、また、それほどの目にあってでも私たちに罪の赦しを与えようとするほどイエス様が私たちを愛して下さっていることを覚え、そのイエス様の愛に応えて生きる者とならせていただきましょう。 中谷建晴 |