聖書一日一章メッセージ集


堺大浜キリスト教会聖書一日一章

「イエスの時が、まだ来ていなかったからである。」 (ヨハネ7:30)

今日のヨハネの福音書7章からは、イエス様がガリラヤ地方を後にして、エルサレムに上られた時のことが記録されています。この後いったん、イエス様はエルサレムを離れられますが、ガリラヤに帰ることなく、エルサレムからそれほど遠くないユダヤ地方、ペレア地方を巡られた後、今度は、十字架にかかられるためにエルサレムに戻ってこられるわけです。
1節から9節では、イエス様の実の兄弟たちが、イエス様にエルサレムに上ることを勧めたけれども、イエス様がそれを拒否されたことが記録されています。イエス様の兄弟たちは、イエス様が名を成すにはそれがよいと思って、言ったわけですが、6節でおっしゃっておられるように、イエス様にはイエス様のご計画がおありだったのです。そのご計画とは、彼らの思いを遥かに越えた全人類に救いの道を備えるためのものであったのです。
私たちも、イエス様の兄弟たちがそうであったように、自分のわかる範囲内でイエス様のご計画を理解しよう、納得しようとしてしまっているようなことはないでしょうか。
10節以降では結局、イエス様が、エルサレムに上って行かれ、当時のユダヤ人社会の指導者たちとの緊張関係がますます強いものになって行ったことがわかります。30節では、彼らがイエス様を捕らえようとしたが、イエス様の時が来ていなかったので、捕らえることができなかった、ということが言われています。全てはイエス様のご計画の下にあるのです。
私たちの身の上に起こる一つ一つの出来事も全て、私たちを愛し、私たちのために命まで捨てて下さったイエス様のご計画の下にあること、たとえ今は理解し、納得できなくても、最善の結果が用意されていることを信じ抜く者、そうして、その最善の結果に与かる者とならせていただきましょう。

中谷建晴



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