聖書一日一章メッセージ集![]()
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| 堺大浜キリスト教会聖書一日一章 「信仰によって、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与えられました。」(へブル11:11) 今日のヘブル人への手紙11章では、信仰とはどのようなものか、ということが語られています。 まず、1節から12節まででは、信仰とは神様の約束を信じること、そうして神様の約束されたものを受け取ることだということが言われています。 その中の11節では、アブラハムの妻サラが信仰によって、息子イサクを与えられたことが挙げられています。しかし、創世記16章を見ますと、サラが神様の約束を信じ抜くことができないで、自分の女奴隷を夫に与えて、夫の子どもを産ませ、それを自分の子とするということをしようとしたことが記されています。また、やはり創世記の18章10節から13節では、いよいよ子どもが出来るという神様からの約束の言葉を彼女が嘲笑ったことが記されています。しかし、そのサラが今日のヘブル11章11節では信仰の人として紹介されているのです。このことは、信仰とは、最初からすっかり信じ切って、全く揺らがないということではないということ、疑いながら、迷いながら、時には御心に反することをしてしまい、周りの人たちに大変な迷惑をかけたりしながら、それでも何とか神様を信じ、何とか神様に従って行くことだということ、それでいいんだ、ということを示していると思われます。 13節以降では、信仰とは天国を目指して歩むこと、天国での報いを望んで生きることだということが言われています。私たちもそのような歩みを、たとえつまずくことや迷うことがあったとしても、歩み抜かせていただきましょう。 中谷建晴 |